Takk !!

私の9000だが、この9月で私の手元に来て丸6年になる。ここに来るまでには聞くも涙、語るも涙(うそうそ)いろいろな出来事と共に走り抜けてきた。
丁度良い機会なので、たまには昔話でもしてみようかと思う。ご笑覧頂ければ幸いである。
1997年。
その当時に乗っていたGOLFIIに疲れ果てた私は、クルマを手放す決心をし、次はちゃんとしたクルマ(注.ちゃんとしてなかったのは「自分の」GOLFIIです)を買おう!と思っていた。
とは言うものの、どんなクルマを選んだらいいのかわからず悶々としながら1ヶ月ほど経ったある日、職場の敷地内に駐車している一台の黒い車が目に入った。少し大きめで手入れが行き届いた綺麗なボディ、大きなホイール、渋い内装、自分好みに綺麗にまとまったスタイリング‥このクルマって確か、サーブの‥9000?とか言ったっけ?
そう、忘れもしないこの日、私が出会ったこのクルマこそが今日私をSAAB9000にここまではまらせるきっかけとなった9000と出会った日だったのだ。
その9000に出会ってからと言うもの、頭の中は9000で一杯になってしまった。何しろSAAB9000なんて、そう滅多に街中でお目に掛かれる代物ではない。当時の私は正直言ってSAABと言うと「いかつい顔をした900」のイメージしかなく、9000は名前を知っていることと、変な形をしたミラーがついているクルマという程度の認識しかなかったから、生まれて初めて目の前にするSAAB9000のあまりのかっこよさに舞い上がってメロメロになってしまっていた。
その日以来、その9000をその場所で見かけることはなかったのだが、心の中ではSAAB9000を買おう!と200%決心し、当時はまだ営業していたサーブ中古車専門店で現在の9000を入手することが出来た。余談だが、その当時「9000と言えば9000」だと思っていてハッチバックのCSやらセダンのCDやら二種類あるタラデガやらといったバリエーションについての知識は全然なかったので、納車されたのがもしCDやCCなどだったら今のワタシのSAAB9000人生は多少、違っていたものになったのかもしれない‥。
1998年。
念願だったSAAB9000が納車されて一年ほど経ち、クルマが共にある生活の楽しさを存分に満喫していた。
同じSAABを所有するオーナーと知り合って仲良くなったり、引越しをしたり、友人の第一子の出産の報を聞きつけ父親母親双方の母(つまりお婆さま×2)を9000に乗せて病院に駆けつけたり、妻と妻のお姉さんと3人で秋深い清里高原へわいわい騒ぎながら出掛けてみたり‥‥とにかくこの頃は少し興奮気味なほどに楽しい出来事を次から次へと体験していて、本当にこのクルマを買って良かったなあと思っていた。
そんなある日。
仕事の合間の一服中、職場の敷地内にふと目をやると、なんと、信じられないことに自分の9000がそこにとまっているではないか。電車通勤のワタシであるから、9000がここにあるはずがない‥と本当に一瞬勘違いしてしまったのだが、実際にとまっていたのは自分のと同じ黒色の9000CSだったのだ。黒の9000?吃驚仰天!昨年ここで見た、あの9000がまた来ている!あの日以来見かけなかったあの9000が再び姿を現した!!この信じ難い現実に直面して、そわそわしていたらその9000のオーナーらしき人間が9000に乗り込もうとしているのが見えた。ああ貴方はまた私の手の届かない所へ行ってしまうのね...とボケる間もなく、とにかくそのオーナー氏と話をしなければならない!と勝手に思い込んだ私は反射的に階段を駆け下りていた。
そして、クルマの元へ着くやいなや、ドライバーズシートに着座したオーナー氏に、自分はこの車をみてSAAB9000というクルマを知ったこと、そして同じSAAB9000を買ったこと、クルマを手にしてとても良かったと思っていること、などなどをワタシの顔を神妙な面持ちで眺めているオーナー氏に一気にまくし立てた。そしてあらかた言うことは言った、ふ〜、と思ったその時ふと思った。この人(オーナー氏)日本人じゃないやん‥ そう、目の前にいるのはまじりっけのない外国人だったのだ。外国人に向かってまじりっけのない日本語で早口でまくし立てる自分って一体・・・とここで思うところなのだが、本当に幸いなことにオーナー氏は日本語での会話が出来る人だったので、お忙しい中にも関わらずワタシの話に付き合ってくれたのだ。その事の印象が強いばっかりで、残念ながらオーナー氏と話した細かい内容は全然覚えていないのだが、とにかく好きで9000に乗っているんだ!ということが伝わってきて非常に楽しかった事は良く覚えている。そんな氏の9000は、なんとワタシのと同じ1992年のturbo-Sモデルで、翌年出たAeroがかっこよかったのが悔しくて前後バンパーをAeroの物に交換してしまい、そこかしこにアボットレーシングのパーツを組み込んであると言う剛の一台であった。
別れ際、つい日本の習慣で名刺を渡してしまった所、オーナー氏も自分のネームカードを差し出してくれた。「この近くに住んでいて、オーディオ関係の仕事をやっています。」という達者な日本語と共に。そうか、きっと海外製のオーディオの輸入販売とか卸売りとか、そんなことをやっているのか。そう思ったワタシの手にあるネームカードには
「有限会社スキャンテック スティーグ・ビョルゲ」
とあった。
そして、2003年。
とある所で、たまたま見かけた世田谷区の地域情報誌を眺めていた。地域情報誌とはいえ、立派な装丁で美味しい店の情報や公共施設の情報など地域の住民以外でも十分楽しめる内容だった。
その中に、「世界一の音質に挑む区内にある音響機器メーカー」と題したコラムがあり、区内にある「ライラ」という音響機器メーカーのことが紹介されていた。
門外漢の私が知る由もないがこの「ライラ」というメーカー、単なる再生機器を生産するのではなく、職人が魂を込めて芸術品を産み出すというレベルで数少ない製品を出荷しているという凄まじいまでのこだわりを持った会社だということが良くわかった。それはいいのだが、記事中に非常に気になるくだりを発見してしまい、気になって気になって気になって気になってしょうがないので、この地域情報誌を一冊頂いてきて、その気になったくだりのことを自宅で調べてみることにした。
何が気になったかと言うと、この「ライラ」という会社の社長がノルウエー生まれのスティーグ・ビヨルゲという人だというのである。ビヨルゲって、もしかしてあの?ネームカードをもらった?日本語が達者な?ミスタービヨルゲ?マジ?ということで部屋中を大捜索の上、探し出したネームカードを確認し、そして1998年にお礼のメールを出したところ頂いた返信メールを確認したところ、どうやら同一人物らしいと言うことがわかった。
後に、SAAB9000相談室で「ライラ」というメーカーについて質問を投稿してみたところ、そこって日本のメーカーで、以前は「スキャンテック」という小さな会社だったんですよーというお答えを頂き、ここに書かれている社長があのビヨルゲさんなんだ!と確信した・・・。これで、私にとっては二度目の再会である。しかも、このような形で再会するとは思っても見なかっただけに、喜びいや、驚きも正にひとしおと言う感じである。
長くクルマに乗っていれば、いやそれ以前に長く一つのことに取り組んでいれば嬉しいことや、楽しいこと、全ての物事を投げ出したくなる位にネガティブになることや悲しくなることだってある。今回の再会劇は、こんな再会はそうあるものではないという意味で、とても嬉しい出来事だった。ビヨルゲ氏とは特に連絡を取り合うような間柄ではなかったので今現在、氏があの9000にまだ乗っているかどうかは残念ながら判らないのだが、氏に伝えられるものなら、こう伝えたい。
あなたに影響されて手にしたクルマを、私は未だに唯一のクルマとして所有しています。このクルマを通じて、私自身教えられたことがとても多いような気がします。今後もこのクルマに乗り続けます。これもあの時、あなたのクルマを見ることが出来たおかげです。
どうもありがとう、と。